2015年03月



衛生状態が悪く医療技術が未発達な昔は、平均寿命も今ほど長く
はありませんでした。そうした昔に八十過ぎまで生きた江戸時代の学者・貝原
益軒は、著書の「養生訓」にて長生きの秘訣を説いています。

 貝原益軒は、長生きし、人生を楽しむためには飲食の欲、好色の欲、眠りの
欲、いたずらに喋りたがる欲といった内欲を抑え、怒り・憂い・悲しみなどを
少なくするのが良いとしており、例えば下記のように教えています。


 「古人、禍は口よりいで、病は口より入といえり。

       口の出し入れに常に慎むべし」(養生訓・第三巻 飲食上)



 また、貝原益軒には次のような逸話も伝わっています。
 
 園芸好きの益軒は自分の庭に季節の花を植え大切に育てていましたが、家を
留守にしたある日、留守を任せていた若者が不注意で、益軒が大事にしていた
牡丹の花を折ってしまいました。

 恐縮している若者に対し益軒は「私が牡丹を植えたのは、楽しむためで、人
を怒るためではない」と言って安堵させたそうです。


 平均寿命が八十歳を超えた現代においては、もっと「長く生きたい」という
人よりも、もっと「良く生きたい」と、質を願う人が多いかもしれません。そ
ういった方にも「養生訓」は多くのヒントを与えてくれます。

ビリオネア(10億ドル以上の試算を持っている富豪)がいるのは、70の国・地域。そのうち1人しかいない国は、アルジェリア、アイスランド、ネパール、ベトナムなど12国ある。そうした中で、日本の24人は17位だ。

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米国は536人もおり、全体の30%を占めている。スポーツ選手やタレントなどへの調査も行き届いていることから人数が多くなっているきらいもあるが、それにしてもいかに金持ちが多いかが分かるだろう。

東アジアでは中国、香港、台湾、韓国には、日本よりも多くのビリオネアがいる。人口比で考えると、日本はビリオネアが少ない国、ということができそうだ。

年齢でソートをしても、興味深い表ができあがる。なんと40歳未満は46人だけだ。そのうちの多くはアメリカ人。中国人は2人しかいない。その他の東アジアの国も、香港のローレンス・ホーは"2世経営者"だし、台湾、韓国には1人もいない。

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それに対して、日本人は3人の起業家がいる。意外な感じもするが、日本は「成功した若手起業家」は多い国なのである。

 有名人の最期の言葉は、その人の“らしさ”に満ちたものが多い。

 例えば“日本一カッコイイ男”白洲次郎の遺言書は「葬式無用 戒名不用」とやっぱりカッコイイ。丹波哲郎は「自分が死んだら、誕生日みたいにケーキにロウソクを立てて送り出してよ。この世は仮の世で、あの世が本当の姿。めでたい日なんだからさ」と周囲に伝えていたことで知られる。実際に葬儀では西田敏行が本人のモノマネを披露するなど、笑いと涙に包まれて大霊界へ旅立った。


 自殺の動機として記した「将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉が有名な芥川龍之介は、子供への遺書では、「若しこの人生の戦いに破れし時には汝等の父の如く自殺せよ」とも書いている。そんな助言しなくても……。一方で太宰治は愛人と入水自殺しながら、遺書では「いつもお前たちのことを考へ、さうしてメソメソ泣きます」と子供に語り、「美知様 お前を誰よりも愛してゐました」と妻へ愛の言葉も残している。

 芸術家には死を目前にしてなお創作意欲に燃えている人も多い。手塚治虫は病に伏しながらも「仕事をする、仕事をさせてくれ!」と懇願。葛飾北斎は90歳にして「もし天命があと5年あったら、本当の絵師になれただろう」と言い残し亡くなっている。

 一方で海外の偉人の言葉はウィットに富んだものが多い。耽美主義者のオスカー・ワイルドは、ホテルの部屋で「わたしは壁紙と死を賭けた決闘を挑んでいる。どちらか負けたほうが死ぬだろう」と言い残して逝った。ベートーベンの最期の言葉は「諸君。喝采を。喜劇は終った」「天国に行ったら耳も聞こえるようになるだろう」など諸説あるが、いずれもらしい。ただ、ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニアが「さようなら、天国で会おう」と言って、ヘンリー・フォードが「君が天国に入れたらな」と返答した……という逸話は少しできすぎな気も。


 周囲を笑わせて逝く人もいる。立川談志が死の直前に愛弟子を集め、おぼつかない手でホワイトボードに書いた文字は「おまんこ」。弟子たちは大ウケしたそう。ジョージ・アップルというアメリカの殺人犯は、電気椅子で処刑されるとき、「おい、みんな、もうすぐ焼きリンゴ(アップル)ができるからな!」と言い放ったという。さすがに笑えないよ!

 なおカール・マルクスは遺言を求められ、「最期の言葉なんてものは、生前に言い足りなかったことがあるバカタレのためにあるものだ!」と吐き捨てたという。しかし、結局それが最期の言葉として語り継がれているので、これから後世に名を残す方々はきちんと考えて発言をしたほうがよさそう。

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