2015年01月

震災関連の様々な情報を目にしたと思いますが、地震の影響で航空機もトラブルに見舞われていたことはご存知でしょうか。

各地の空港が閉鎖したため、着陸先が無くなった数多くの飛行機が受け入れ先を探し、燃料が残り少なくなるなど緊迫した状況となっていたようです。

アメリカから成田空港へ着陸予定だった、デルタ航空の機長による手記がネット上に投稿され、その真に迫った内容が話題を呼んでいました。

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以下は東日本を襲った地震の直後に、成田空港へ着陸を予定していたデルタ航空の機長による、ネットに投稿された手記です。少し長いですが、一読の価値はあると思います。

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 成田空港の乗務員用のホテルの中からこれを書いている。なんとか今は無事でいる。

 これは私の初の太平洋横断で、国際便767の機長として興味深いフライトだった。過去に大西洋を3度ほど横断しているので海の横断経験はあった。アリューシャン列島の美しい景色を超え、東京から100マイル(約160km)の地点で着陸の降下準備を始めるまでは順調なフライトだった。

 トラブルの最初の兆しは、日本の管制塔が「待機経路」(着陸許可を待つ機が楕円に飛ぶ周回路)の指示を出してきたことで、最初はよくある混雑だと思った。すると会社側が地震のメッセージを送ってきた。その直後には「成田空港が一時的な点検のため閉鎖、しかしすぐに再開するであろう」との見解が入ってきた。(会社はいつも楽観的なんだ)

 我々の見解からすると明らかにいつもと様子が違った。日本の管制官の不安レベルはかなり高いようで、待機がいつまで続くかわからないと伝えてきた。我々はそんな状況下で時間を保証してくれる者など誰もいないことを知っていた。副操縦士と交代要員の操縦士の二人は、コース変更可能な迂回先と燃料確認に忙殺されていた。当然太平洋を横断してきたことから燃料の残量値は低い。

 10分も経たぬうちにエアカナダ、アメリカン航空、ユナイテッド航空の機長たちが、他の空港へのコース変更をリクエストし始めた。全機が最低限の燃料しかないと主張している。当機の燃料は1時間半~2時間ほどフライトできる残量だった。言うまでもなくこのコース変更により、ことは複雑になった。

 やがて管制塔が成田空港は被害を受けたため再開できないと知らせてきた。各機はすぐに羽田への着陸を要請し、6機ほどのJALや欧米機がそちらへ向かった。ところがその後で管制塔が羽田も閉鎖したと伝えてきたんだ。おっと、もはやここで待機している場合じゃない、さらに遠方の大阪や名古屋も考えなくては……。

 大型旅客機の欠点は、そこらの小さな空港にぽんと着陸できないことにある。大きく立派な滑走路が必要なんだ。さらに多くの飛行機が西からも東からもやってきて渋滞し、全機がこぞって着陸を待っている状況だ。いくつかの機体は燃料の危機を伝えている。管制塔は圧倒されている。

 この混乱の中、名古屋空港から着陸許可が下りた。燃料はまだ大丈夫だ、なんとかなっている。ところが数分ほど名古屋に向かったところで、管制塔から引き返せとの命令が来た。名古屋も飽和状態でこれ以上の飛行機を引き受けられないと言う。さらに大阪も同じとのことだった。

 もっと遠方へ飛ぶ可能性が高くなり、OKだったはずの燃料はいきなりギリギリの状況に陥った。さらに我々と同じ状況の飛行機が周りに十数機もあり、全機がどこかに着陸許可を出してくれと脅している状態だ。そこへエアカナダともう1機の燃料状況が「緊急」となり、軍の基地に向かい始めた。東京に一番近いのは横田基地である。もちろん競うように我々もそれに参加した。だが横田から返ってきた回答は「閉鎖」。スペースが無いということである。

 もうこうなるとコックピット内は、さながらスリリングなサーカスとでも言うべきだろうか。副操縦士は無線にかじりつき、私は判断を下しながら操縦、交代要員の操縦士は航路図に埋もれながら、どこに行けるかアトランタからやってくるメッセージとにらめっこしている。そこで三沢基地を選んだ。本州の北側にあり、残りの燃料でもたどりつけそうだ。管制塔は大混乱の東京から我々が去ってほっとしているようだが、どうも仙台に送ろうとしていたみたいだ。そこは小さな地域の海岸線の空港で、津波の被害が甚大なところである。

 アトランタから今度は北海道の千歳空港まで行けるかとの連絡が入り、その他のデルタ航空機もそちらへ向かっていた。我々のコックピット内はひっくり返したような状況だ「天候確認、チャート確認、燃料確認、OK」。よし、なんとかたどり着けそうだ、これ以上の遅延が出ない限りは燃料は緊急状態に陥らないであろう。

 三沢に近づくと千歳空港の着陸許可がおりた。重大な決断をするときの考え方が頭をよぎる。飛ばし過ぎた飛行機を、かなり離れた目的地へコース変更。そこでさらに状況が悪くなったら……。安全報告書はどう映るだろうか。

 またもや管制塔から電波連絡が入り指示を待つよう伝えられる。悪夢である。状況は急速に悪化していく。東京上空で待機したあと名古屋へコース変更、また東京へ、そしてさらに三沢へ。十分だったはずの燃料はどんどん蒸発していく。その後の会話はわかりやすく言い換えるとこのような内容である。
「札幌管制塔へ デルタXX便、至急千歳空港への着陸を要請します。燃料の残量は少なく、これ以上待機できません」
「拒否します。現在混雑中です」
「札幌管制塔へ デルタXX便、緊急着陸を宣言します。燃料の低残量、千歳に直接入ります」
「了解、デルタXX便。千歳に向かうことを許可します。千歳との連絡を……」

 もうたくさんだ。同じ待機パターンに入って重大な燃料問題を抱えてしまう前に、緊急着陸を決断した。このことで会社に書類を提出することになるが、どうでもいい。本当の緊急事態になるまで30分の燃料を残していたが、千歳に安全に着陸した。我々を引き入れたのは空港内の外れにあるへんぴな場所で、さらに他の数機が舞い降りてきた。結果的にデルタの747が2機、我々を含む767が2機、777が1機、すべて移動式のタラップを取り付けられた。さらにアメリカン航空2機、ユナイテッド航空1機、エアカナダが2機も降りて来た。もちろんその後いくつかのJALや全日空がやって来たのは言うまでもない。

追記:9時間後にようやく日本航空の搭乗用はしごが届き、飛行機から降りて入国を済ませることができた。しかしそれはそれで、また別の興味深い経験となった。この文章を書いている45分の間にも4回ほど地震の揺れを感じたところだ。

震災に関する多くの情報が語られていますが、上空にいた飛行機も緊迫した状況にあったようです。


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パイロットによる手に汗を握るような手記に対し、海外掲示板には多くのコメントが寄せられていました。

以下、抜粋してご紹介します。

・クレイジーな状況だ。着陸できず、それどころか着陸させてくれるかどうかもわからないところに飛ぶなんて。少なくとも緊急着陸に入れたことはよかった。それにしても機内から人を降ろすまで時間が掛かり過ぎのように思う。

・多分にメインの空港から離れた場所だったからじゃないかな。そのはしごを運転して運ばないといけない上に、他の飛行機もあって大変だったんだろう。

・マグニチュード8.9もの地震がある最中なら、オレならその飛行機の中が一番マシだったと思う。

・これがニューアーク・リバティー国際空港(ニュージャージー州)の付近で起こらなくてよかったよ。デルタの回答はきっと上空でフライトキャンセルして、飛行機ごと存在が消えただろうから。

・吹雪のひどい日にニューアークとボストン(マサチューセッツ州)を4回往復させられた挙句、両方の空港が閉鎖した。

・それはどうなったんだ?どこに着陸したんだ?

・きっとしなかったんだよ…。だん、だん、だん!

・行方不明……。

・そんな状況のときに管制塔にいたくないな。きっと彼らはその1時間、瞬きひとつもできやしなかったろう。

・悪いシナリオを考えずにはいられなかった。ストレスが半端ないと思う。

・9時間後だって?千歳空港についてから乗客は9時間も飛行機の中にいたっていうのか?

・どの空港もいきなりのこの地震で、着陸が混雑するとは予想できなかっただろう。

・クレイジーだ。12時間もフライトしたあとで、9時間もあの椅子に座っていたくない。

・それも想像してみろよ。もし外国人で日本にバケーションか何かでやって来ていたとして、17時間以上も経ってから別の空港にようやく降りてみたら、そこは地震や津波にやられていて、なおかつ原発がいくつか溶解しそうだっていう状態なんだぜ。

・管制塔を退職した私からすると、この機長が体験したことに感謝できる。こんな風に雪だるま式にトラブルになると、プランA,B,C,Dの全部がダメになる。全機の燃料が足りなく、「今すぐ」どこかに行かなくてはいけない。管制官はどこかに誘導しようと思っても対立した情報を得る。これに一番近い状況で思い出されのが、9/11のときだ。全員をすぐに地上へ降ろせと指示が来た。忘れられないよ。

地上の惨事が大きすぎて気に留めることはありませんでしたが、空の上でもこんな緊迫していたことに、あらためて驚きです。

少なくとも目立った飛行機事故は発生していないことから、パイロットや管制官たちいかに尽力して、プロフェッショナルな技量を発揮したのか想像に難くありません。

 関西や九州など西日本から羽田に向かう飛行機は、そのまま空港に一直線に着陸せず、グルッと千葉方面から回り込んで高度を下げる。羽田から西へ向かう場合も、わざわざ東京湾上を旋回してから向かう。「ずいぶん遠回りするなァ」と舌打ちする利用者は少なくないはずだ。

 原因は首都圏上空に存在する巨大な「見えない空の壁」にある。そこを飛び越えたり、 回したりするため、戦後70年、民間航空機は遠回りを強いられてきた。空の主権が奪われたままであることにより、我々は大きなコストを支払わされている。

 これが日本の政治家、官僚がタブー視して触れない「横田空域」問題である。

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 横田空域とは、東京・福生市にある米軍横田基地の上空を中心に広がる空域のことだ。戦後、連合軍が日本の空の管制権を掌握した後、日米地位協定に基づいてそのまま米軍が管理することになった。現在、米軍管理下の「横田管制」が空域を管理している。

「横田」という名で誤解しそうだがその管制空域は神奈川県や静岡県、北は新潟県まで1都8県にまたがる。そして最高高度は2万3000フィート(約7000メートル)もある、まさに「見えない空の壁」なのだ。

 米軍の管制下にあるとはいえ、日本の領空であることは間違いない。日本の民間航空機がそこを通ることはできないのか。航空評論家の秀島一生氏が解説する。

「事前にフライトプランという航行予定表を米軍の横田管制に提出して、許可されれば通過することは可能です。

 しかし、民間航空会社が定期便のルートにすることは現実的ではない。通過するたびに申請しなければならず、時によっては通れない可能性もある。横田空域を定期便のルートにすることは事実上、不可能なのです。だから各航空会社はこの空域を避けるルートを設定している」
 羽田や成田空港に発着する航空機が横田空域を避ける方法は、迂回するか飛び越えるかのどちらかしかない。五輪となれば、中国や韓国などアジア方面からの訪日客が急増する。それらの国と羽田を結ぶ便は横田空域の南側を迂回するか飛び越えるルートを取る。横田空域の高度は階段状で、最高2万3000フィート。

 国内線の飛行高度は水平飛行時でも3万3000フィート(約1万メートル)程度だから、羽田に近接するこの空域を飛び越えるのは簡単ではない。

 例えば羽田から北京、上海、ソウルなどへの便や、国内では北陸や山陰方面への便の場合、離陸後そのまま西に向かうと高度を上げるための“助走”が足りず、横田空域の壁に“衝突”してしまう。そこで、まず東京湾上空をグルッと旋回して高度を上げてから、目的地に向けて横田空域の上を通る。その分、時間を無駄にするとともに燃料費も余計にかかる。

 もちろんこうしたロスは航空運賃に上乗せされ、利用客が負担することになる。日本政府は過去、横田空域の返還を繰り返しアメリカに求め、部分的に返還されてきた(それにより階段状になった)。1992年に空域の約10%、2008年に約20%が返還されるなどしてきたが、まだ大部分が米軍の管制下に置かれている。

 それでも2008年に20%返還された時は、羽田から西に向かう便の飛行時間は平均3分短縮された。燃料費は年間約60億円削減された計算になる。

「もし全域返還されれば、大阪国際空港(伊丹)までなら現状50分程度のところ、30分近くで着くようになるでしょう。福岡や沖縄も、今より20分は短縮されるはずです。燃料費も浮き、年間で数百億円規模のコストが削減できると考えられます」(前出・秀島氏)

物が燃えるためには、酸素が絶対必要不可欠です。
しかし、宇宙には酸素がありません。
では、何故太陽は、酸素の無い宇宙で燃えることができるのでしょうか?
実は、太陽は燃えているように見えますが、地球上で物が燃えているのと同じように燃えているわけではないのです。
太陽は、核融合反応、と言う現象によって輝き、熱を放っているのです。
太陽は、今のところは4分の3を水素、4分の1をヘリウムが占めた巨大なガスの塊です。
この太陽の4分の3を占めている水素が、核融合反応を起こしているのです。
では、核融合反応とはなんでしょう。
全ての物体は、原子と言う物で構成されています。
そして原子は、電子と原子核から出来ています。
核融合反応とは、この原子核で起こる現象。
2つの原子核がものすごい勢いでぶつかり合い、融合してしまう反応が、核融合反応なのです。
地球上では、このような反応が起こることはまずあり得ませんが、
太陽の中はものすごい圧力が掛かっているため、このような反応が起こってしまうのです。
地球上で得られる勢いだと、融合するのに全くエネルギーが足りませんが、
太陽の中ぐらいの圧力が掛かると、融合するためのエネルギーを得る事が出来、核融合反応を行えるのです。
太陽の場合は、水素原子同士がぶつかり合い、ヘリウム原子に変わります。
しかし、実は、水素原子2個の重さと、ヘリウム原子1個の重さは、ヘリウム原子1個の重さの方が少ないのです。
この減った重さの分が、光のエネルギーとして、外へ飛び出すのです。
ちなみに、先ほど太陽の成分を説明する際、「今のところは」とつけましたが、あれは数億年後に中身が変わるからです。
先ほど、水素がヘリウムに変わると言いましたが、そうなれば当然、太陽の中身は水素からだんだんヘリウムに変わっていきます。
すると最終的に、水素からヘリウムだけになります。
そうすると今度は、ヘリウムが核融合を起こし始めるのです。
その次に発生するのが酸素や炭素。次がマグネシウムやネオン。次にケイ素が来て、最後に鉄が残ります。
鉄は非常に安定しているため、核融合を起こしません。
こうなるともう、破滅への道をまっしぐらに進む事になるのです。
なお、原子爆弾も「核反応」を使いますが、こちらは核融合ではなく「核分裂」。
重い原子から軽い原子に変わった時、その減った分の重さが、莫大なエネルギーとして放出されるのです。

ネジには、頭部に「-」の溝がついているマイナスネジと「+」の溝がついているプラスネジがあります。

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主なものとしてはこの2つがあるのですが、実は現在、マイナスネジはどんどんすたれてきているのです。
それはなぜかと言うと、主な要因は工場の機械化です。
ドライバーでネジを絞めるとき、プラスネジはドライバーに引っかかり、下を向けてもあまり落ちないのですが、
マイナスネジは下を向けたり傾けたりしただけで簡単に落ちてしまいます。
人間なら、そのとき拾えばいいのですが、機械だとそうもいかず、プラスネジの方が多用されているのです。
また、マイナスネジよりもプラスネジの方が力を加えやすい、と言う利点もあります。
マイナスネジは2つの面でしか力を加えられませんが、プラスネジは、4つの面で力を加えられるからです。
では何故いまだにマイナスネジが存在するのでしょうか? また、何故マイナスネジが考えられだされたのでしょうか?
実は、現在上にも書いたように、マイナスネジはほとんど売ってませんし、特別な場合でなければ、たいていプラスネジで済みます。
マイナスネジが考え出された理由はわかりませんが、おそらく溝が一本なので作りやすかったことが主な理由でしょう。
また、実はプラスネジとは、あとから考え出されたものなのです。
「-」と「+」…実に単純な発想に見えますが、意外にもそうでもなかったのです。
プラスネジは1935年、アメリカのフィリップと言う技術者が発明した物で、それまで誰も「+」型のネジは思いつきませんでした。
フィリップはラジオの箱にマイナスネジで部品を取り付けているとき、ドライバーが滑ったり、ネジの溝が潰れたりして、いつもイライラしていました。
「なんとかならないものだろうか……?」
そう考えていたある日、彼はひらめきました。
「そうだ、ネジの溝をプラス型にすれば、ドライバーの滑りを無くすことができ、しかもしっかり締め付けることができるはずだ!」
彼は早速それを試作し、1935年にその特許を取得。彼の考えた通り、滑らずしっかりと締め付けられるネジが世界中に広まっていったのでした。

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