2013年03月

三月は節目の時期です、企業であれば決算、学生であれば卒業など。今年の桜は散らすごろある意味そろそろ四月になる、四月いえば新年度の始まりです、たくさんの方も新しい環境に変わると思います、
私もいつもチャレンジ的な気持ちで新しい毎日に参ります。

失うものは求めてるもの。

おはようございます。養生堂です。

 桜満開の週末、皆様いかがお過ごしになられたでしょうか。


 本日3月25日は電気記念日です。今では暗くなれば当たり前のように使っ
ている電灯ですが、その電灯が無い生活というのは想像も出来ません。

 わが国で初めて電灯が点灯されましたのは、明治11年(1878年)の本
日、3月25日でした。これを記念して毎年、この日を電気記念日としていま
すが、当時、電信中央局の開業祝賀会で、工部大学校(現在の東京大学工学部
)の学生たちがイギリス人教師のもとに電池を使ってアーク灯を点火し、来賓
一同を驚かせたといいます。

 その後、明治15年には東京の銀座に電灯がつきましたが、これを描いた錦
絵には


「其光明(ソノコウミョウ)数十町ノ遠キニ達シ、

                     恰(アタカ)モ白昼ノゴトシ」


と記されていたそうです。電灯、エアコン、テレビ、自動車、洗濯機、電子レ
ンジ、インターネット、携帯電話・・・等々、そうしたものが全て無い時代、想像を掻き立てられます。

ご愛読及び同業者の皆様、こんにちは。養生堂です。

 小鳥のさえずりも日ごとに賑わしく、春の到来を告げております。皆様にお
かれましては、いかがお過ごしでしょうか。

桜の場合、葉が出る前に花が咲きそろいます。一見何もないようなところから
花を咲かせる桜の姿に、生命力の強さも感じます。何もない状態で生まれ、何
もないところから花を咲かせようとするのは人も同じこと。上を向けば桜の季
節です。

花見の文化は平安時代からありましたが、一般庶民、老若男女、町人や長屋
の住民までが楽しむようになったのは江戸の頃からです。楽しみ方はそれぞれ
で、切なくもおかしい長屋の住民の花見は落語の恰好の題材です

 花見を題材にした落語はいくつかありますが、「長屋の花見」も知られた話
の一つです。

 貧乏長屋の住人たちの花見は、たくあんを卵焼きに、大根の漬物をカマボコ
に見立て、酒は薄めた番茶といった具合でまったく盛り上がらず。番茶の“お
酒(おちゃけ)”を持って酌に回り、たくさん注いだりするとケンカになる始
末です。そのうちやけくそになって繰り出すコメントが笑いを誘います。

 もう一つ、「花見酒」も有名な落語で、経済学でも度々登場するポピュラー
な話です。

 お調子者で計算が苦手でおっちょこちょいで貧乏で酒好きな登場人物は落語
の定番。辰と兄貴分の熊が、花見の場所で酒を売ったら儲かるだろうと算段し、
酒に酒樽、柄杓(ひしゃく)、天秤棒に使う竹竿、つり銭用の十文まで、儲か
ったら返すからとすべて前借りで揃えてもらいます。

 どのくらい儲かるかなどと二人で捕らぬ狸の皮算用をしながら花見会場を目
指して歩いていきますが、そのうち酒の匂いに我慢しきれず熊がそわそわしだ
します。ちょうど懐には十文(酒屋から借りたつり銭用のお金)がある。金を
払えば文句がないだろうということで、熊が十文を払いまず一杯。

 天秤の先棒と後棒を交替してまた歩き出すと、今度は後ろになった辰が酒の
匂いにたまらずそわそわ。熊が「そんなに飲みてぇんならさっきの十文で買っ
て飲みゃいいじゃねぇか」、辰は「さすが兄貴は頭がいいね」ってんでまた一
杯。当然、こんなことを繰り返せば花見会場につくころには二人ともへべれけ
です。

 酒を売ろうと樽を見たら二人で飲みつくして空っぽ。売り切れたことを喜ん
で売上げを勘定したら十文しかない。勘定が合わないってんで考えてみると、
初めの十文でおれが買って、次におまえが買って、またおれが買って、おまえ
が買って結局飲み干してしまった。勘定もあってる。「なるほど、無駄がなく
ていいや」っていうのがオチになります。

 この落語を念頭に置いたのが「花見酒経済」です。実際は身内で売買を繰り
返しているだけで、売上げが増えたように見えるが、実質は何も変わらず、場
合によっては借金だけが残ってしまうようなこともありえる経済の状態を指し
ています

 たとえばバブル経済化の信用創造で、土地を担保に借金をし、その借金で
土地を買うからまた値上がりし、値上がりを当て込んでまた借金し・・・とい
う状態です。最終的には足腰が立たないほどの悪酔いに苦しめられるというの
が「花見酒経済」の筋書きです。

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